等々力の菅田屋が閉店していて悲しい
かつて、最寄り駅が東急大井町線の等々力駅の家に住んでいたことがある。
最寄り駅が等々力といっても、多摩川の方で、近くには新日本プロレスの道場があったアパートだ。
僕はこの部屋をとても気に入っていて、6年近く住んでいた。
難点を挙げれば駅まで徒歩で20分かかるうえに、上り坂があるので夏は暑くてたまらなかった。
さらに、等々力駅ってのは辺鄙な駅で、スーパーなんかあんまりないし、22時を過ぎるとコンビニぐらいしか開いていない。
そして、コンビニの食い物のなくなる時間も早い。
弁当なんか全然、食えないのだ。
そんな辺鄙な等々力駅の近くにあったのが菅田屋だ。
ここは20時を過ぎたら、閉店してしまう。
しかも日曜日は定休日なので、利用できるのは土曜日のみ。
そして、店の外観は決してキレイとは言えない、ウナギの寝床みたいな店だった。
しかし、通う理由は確実にある。
もやしラーメンとジャンボ餃子がクソうまいのだ。
繊細なうまさではなくて、いわゆる町のラーメン屋さんの雑なうまさ。
まず、もやしラーメン。
スープは鶏がらのあっさり味。麺は細麺が選べる。
僕は細麺が好きなので、必ず、細麺で頼んでいた。
ここのもやしラーメンは普通のラーメンに餡をかけるタイプのものなんだけど、他の店のもやしあんかけ系ラーメンとは“香り”が違っていた。
なんか、こうばしいんだよなぁ。
で、徐々に普通のラーメンのスープに餡が混ざっていき、食べている途中からスープもトロトロになっていく。
ちぢれた細麺がスープに絡んでズルズルというより、餡がかっているのでズボズボすする感じ。
終盤はお酢とラー油をぶち込んで味変をするんだ。
ここより、うまいもやしラーメンには出会ったことがない。
そして、ジャンボ餃子。
まず、餡自体にしっかり味がついていて、タレなしで食える。
ほんのり香るにんにくもいい感じだし、野菜の甘みも感じる。
ご飯と食えば、何杯でも食えてしまう。
ウソ。
ジャンボなので、ごはん1杯で大満足だ。
生のジャンボ餃子は持ち帰れるので、家で焼いていたりしていたな。
ジャンボ餃子食いながらビールを飲むのは至極の幸せ。
店主が代替わりして、ここ2年ほどは値上げがハンパなかった。
しかし、それも仕方がないことだと思っていた。
それで店がずっと続けばそれでいい。
しかし、昨年の12月29日をもって、菅田屋が閉店してしまった。
たまに行く菅田屋は楽しみだったのに、もうもやしラーメンもジャンボ餃子も食べることができない。
悲しい。
楽しみがどんどんなくなっていく。
楽しみを作らないといけないね。
あー、もっと食っておくんだったなぁ。
祖師ヶ谷大蔵では元せい家がせい家に負けていた
家系ラーメンと言っていいのか分からないけど、とんこつ醤油味のラーメン屋のチェーン「せい家」。
祖師ヶ谷大蔵には、かつてせい家があった。
これが、店主が独立したのだろう。
威風堂堂と改名して、せい家のメニューを中心に、カレーなどオリジナルメニューを追加して営業していた。
威風堂堂は長らく、祖師ヶ谷大蔵の家系ラーメンのトップとして君臨していた。
まぁ、深夜まで営業していたので〆に食うラーメンとしてはぴったりだったのだろう。
いつ行ってもまぁまぁ混んでいた。
はっきり言って、味はせい家と変わらないし値段も変わらない。
でも、愛想はあんまりよくなかった。
ここ4、5年だろうか、なぜか小田急線沿線を中心に家系ラーメンの出店が相次いでいる。
最初は武道家 龍が成城にできた。
せい家と比べて、濃いしこってりしている。家系ラーメンらしく、ライスは無料で緑色の漬物がある。
ザ・家系がやってきた。
次いで、せい家が千歳船橋にも出店されるようになった。
お隣の経堂にもあるのに、せい家ができた。ラーメンが500円で食える。
威風堂堂に対する包囲網は確実に狭まりつつあった。
そして、祖師ヶ谷大蔵に家系ラーメンができる。
祖師谷商店だ。
ただ、いわゆるチェーンの家系ラーメンで、せい家よりも若干お高めの値段設定。
スープはクリーミー系。
これは、味と値段の住み分けはできているので、影響はあるかもしれないけれども威風堂堂はこれぐらいでは揺るがない。
しかし!
徒歩1分圏内にできたのだ。せい家が。
元せい家の近くにせい家ができた。
取られたねぇ。思いっきり客を取られたねぇ。
営業時間も深夜までやっているし、同じ味だし、同じ値段だし、愛想がいい。
そう、愛想がいいのだ。
僕も愛想が悪い店よりも愛想がいい店の方がいい。
だって、味も値段も同じなんだもん。
元せい家とせい家の間で何が起きたのかは想像できない。
しかし、元せい家は負けた。
知らない間に閉店していた。
僕は祖師ヶ谷大蔵には500円でラーメンを食いに行くことにしているので、ほかの店にはめったに行かない。
この前、どうしても家系ラーメンが食いたくなって祖師ヶ谷大蔵に行った。
元せい家の場所には新たなラーメン屋ができていた。
でも、せい家で500円ラーメンを食った。
だって、せい家よりも高いんだもん。
うまくもまずくもないラーメンがうまいと思えるんだな
最近、美味しいお店が多い。
というよりも、美味しすぎるお店が多い。
そういう店は往々にして、値段が高いものだ。
正直言って、まずいよりも美味しいものの方がいい。
しかしだ。
美味しいものはいつも食いたくない。たまに食うぐらいがちょうどいい。
まずいものは、常に食いたくない。
美味しいものは、たまに食いたい。
このバランスをとるのが、うまくもまずくもない食い物だ。
会社の近くに、そんな店はある。
元祖 札幌や
この店の醤油ラーメンだ。
店の名前通り、推してくるのは味噌ラーメン。
僕は、だけど、白みそがそんなに好きではない。
ここの味噌ラーメンは、白みそベースなのだ。
どちらかと言えば、うまくもまずくもないというよりかは、食えなくない程度の味。それがここの味噌ラーメン。
だけでも、ここの醤油ラーメンは絶妙のバランスをとってくる。
味のベースが醤油になっただけで、不思議なことに、うまくもまずくもないラーメンに変貌する。
毎日は食いたくはないけど、週2はいける。そんな味。
醤油ラーメンは580円。ドトールでアイスコーヒーを飲めば、800円となる。
俺にしては贅沢な昼だ。
うまくもまずくもないラーメンを食いながら、贅沢を堪能するのだ。
生活のレベルを下げれば、580円のラーメンも贅沢品となる。
要は気の持ちようなのだなと思ったりする。
ドトールのツナチェダーチーズのホットサンドがうまい
僕が今、常駐している会社は港区にある。
土地の金が高いのだろう。お昼ごはんが高くて仕方がない。
会社の近くに家系ラーメンの店があるのだけれども、一番安いメニューで750円もするのだ。
僕の家の最寄り駅には「せい家」がある。
せい家ではラーメンが500円で食えるのだ。
そのせい家と比べても、別においしいとは思わない。
それで750円も取られたらたまったもんではない。
しかも、食事終わりにはドトールでアイスコーヒーを飲みながらたばこを吸わないといけない。
いけないと書いたのはわざとだ。
もはや義務ともいえる、昼の儀式であるドトール。
ここで、とんでもないメニューを発見してしまった。
ホットサンドメニューにある「ツナチェダーチーズ」だ。
これがクソうまい。
もともと、マヨネーズが好きなうえに、ツナとのコンビネーションによるハーモニー。ここにさらに溶けたチェダーチーズがコクを加える。
最初に、ツナマヨ感がやってきて、後からチェダーチーズの塩味がやってくる。
これで340円なんだからコスパは高い。そして、アイスコーヒーが220円。
560円で大満足。
カロリーは高いだろうね。でも、うまいんだから仕方がない。
うまいものはカロリーが高いのだ。
まぁ、アイスコーヒーに砂糖を入れてないから、これでチャラになりませんか?
ならないでしょうね。
でも、うまいのだから仕方がない。
今日も食った。しかし、画像はない。
手が汚れないように紙でラッピングされているから、画像を撮ることができない。
なので、この記事にはリンクを貼っておいた。
是非とも食ってみてほしい。
ジャンクなうまさがそこにある。
ダメな人間だけども生きているのだ
僕は今年40歳になってしまった。
仕事はWEBディレクター。しかも、派遣社員ときたもんだ。
腸に病気を抱えているもんだから、無理がきかなくなってしまった。
しかも、この病気のせいでちょっと自律神経もやられている。
花粉の季節でもないのに、寒暖差でアレルギーが出てしまう。
秋でも花粉は飛ぶらしい。しかし、目はショボショボしていない。
やられているのは自律神経だ。
繰り返そう。
40歳で派遣社員で、腸に病気があって、自律神経をやられている。さらに独身だ。
こんな終わっている自分を象徴するかのように、お気に入りのジーンズがほつれ、そして裂けた。悲しい。
もう12月。寒さが身に染みる季節だ。
裂けたジーンズは下半身を容赦なく冷やしてくれる。悲しい。
しかし、今の職場は恵まれていて、僕はとてもホワイトな働き方をさせてもらっている。
19時には問答無用で帰っている。
しかし、病気のせいだろうか、ホワイトに働いているにもかかわらず、ちょっとしんどい。
正確に言うと、通勤がしんどい。
20歳の僕は想像しただろうか。
40歳にもなって、派遣社員で病気を抱えて、自律神経をやられ、独身なうえにジーンズが裂けて悲しんでいる自分の姿を。
多分、もっと幸せな人生を歩んでいるのだと思っていただろう。
タイムマシーンに乗って教えてあげたい。
お前、終わるぞってね。
しかし、20歳の俺もかなりのダメ人間だったので、まったく響かないだろうね。
ここ数年は、こんな自分を卑下していた。
だから、できるだけ昔の自分を知る人との交流を避けていた。
でも、もうやめよう。
ブログでも書いて、自分が生きているということを表現しようと考えた。
別に誰にも読まれなくても構わない。自分に向けて、生存報告をしていくのだ。
それが、このブログなのだ。